結婚準備

【東京恋愛区】
若洲リンクス、朝8時、Applewatch、36歳

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土曜日の午後、出版社で働く綾はオフィスで原稿のチェックをしていた。

「あのライター、いっつも遅れて出すのよね……。おかげで土曜出勤よ」

綾は口をとがらせて、積みあがる書類の間から時計を見た。夕方4時半を指していた。「そろそろ出るか」モンクレールの黒いダウンを着て、オフィスを出た。

永田町駅で地下鉄を乗り換える。土曜の永田町は、乗り換え客でごった返していた。エスカレーターをのぼり、動く歩道を歩く。反対側には、野球のユニフォームを着た子供たち、スーツケースを引いた外国人観光客、ディズニーランドの土産をもった高校生カップルなど、様々な人が通り過ぎる。

大きなマクラーレンのベビーカーを押す若い女性が見えた。赤ちゃんがぐずり、おしゃぶりで機嫌を取る。「私にもこれくらいの赤ちゃんがいてもおかしくない年なのよね」なんて、もしも25歳で子供を産んでいたら、と違う人生を想像してみる綾。

いつから結婚願望が剥がれ落ちたんだろうか。仕事が楽しいと思うほど、結婚への憧れが反比例して小さくなるのを綾は感じている。少しかさついた思いをしながら有楽町線に乗った。

◆あれから2週間……綾とマキのゴルコン前夜

前回の西麻布の合コンから2週間。みんなでラウンドをしようということになった。男女4対4の8人。

「これっていわゆるゴルコンってやつ?」

メンバーは、美帆子マキ、私、ゆき奈。みんな大学時代のゴルフ部同期だ。男性は、美帆子の旦那、合コンにいたIT社長(ウブロ)と、初対面のIT社長がふたり。「出会いは数珠つなぎて、似たような人との出会いが続くと聞いたけど、ここまでIT社長づくしとはね」と、伸びかけのジェルネイルを冷静に見つめた。

今夜は飯田橋に住むマキの部屋に泊まり、翌朝男性陣が車で迎えに来ることになっている。部屋では、ディーン・アンド・デルーカをつまみに、ワインを軽く飲みながらウェアを見せ合った。綾は「久しぶりだから、サマンサでウェア買っちゃった!」と言って見せると、「ちょっと若くない〜?」とマキにつっこまれた。「まだまだいけるでしょ! それにIT社長たちとのゴルコンだしね」と照れながら綾は言った。

明日は、8時出発で9時30分からのラウンド。「ゆっくり寝れるね。仕事漬けの私たちにはありがたいよ」「社長たちやっぱり分かってるな〜!(笑)」なんて話しながら、結局1時近くまで飲み明かしてしまった。

朝8時、レクサスLXがマキのマンションの前に止まった。グレーともブラウンともつかない、メタリックで高級感あふれる色に綾の心が艶めいた。

運転席にはウブロ。助手席で、ちょっと若めの男が「初めまして」と挨拶した。どうやらウブロの弟分らしい。日に焼けた肌、ツーブロックで、人懐っこい笑顔の口元からは八重歯がのぞいた。

飯田橋から首都高に入り、車は滑るように走る。天気がよく、マルーン5の「サンデー・モーニング」がさわやかに耳を通り過ぎる。助手席の若い男は、持ち前の明るいキャラクターで車内を盛り上げた。ノリが若いので、てっきり30歳くらいだと思ったら、36歳だという。「ふーん、ちょっと軽そう」と、綾は口を結んで観察した。

「あっ! アップルウォッチだー!」と、マキが助手席の右手首を指す。「おれ、アップルマニアだからさ」と得意げに言った。「こんなこともできるんだよ」と、時計に向かって声を入れる。すると、文字入力されて、そのままメールが送れるようだ。「わあーすごい!」と女子二人は歓声をあげた。

「でもちょっと鼻につくやつー」と綾の心はつぶやき、ひそかに口をとがらせた。

行きの車から恋愛トークで盛り上がった。アップルウォッチは「彼氏はいないの?」「どんな人がタイプ?」など、テンション高めに話してくる。「彼氏ほしいけど、いいなと思う人はみんな結婚してるんだよねー」と、いじけてため息をつく女子たちに、「それってまだ独身のいい男に会ってないから言えるんだよ! 俺たちみたいなさ」「キャハハ! なにそれー」なんて会話で盛り上がった。

わずか30分程度の移動だったが、4人は一気に打ち解けた。「初対面の男たちとゴルフに朝から行くなんて、結婚して子供がいると、こんな楽しいことできないよね」と、レクサスに乗りながら、綾はほのかな優越感に浸った。

◆東京湾の隠れたゴルフコースで

今日の場所は若洲リンクス。新木場の、東京湾の埋め立て地にある。綾もマキも初めてだった。やがて美帆子たちと合流し、2つのグループに分かれた。結局、車と同じメンバーでラウンドを開始。

冬の空は天気が良く、空が広い。東京湾に浮かぶそこは、潮を含んだ独特の心地よい風が流れた。冷たい風が頬をしっとりとなぜ、澄んだ空気に溶けていきそうだった。日々の忙しさや、都会の喧騒は風に洗い流されていく。

緑に囲まれたフェアウェイの向こうに広ある海。そして立ち並ぶ高層ビル群。東京のいろんな顔を一気に感じられる場所だ。

「こんなとこ、日本にひとつだけしかないよな」と、アップルウォッチは得意げだった。彼はウェアからグッズにいたるまで、すべてキャロウェイでかためている。石川遼に憧れているようで、「どおりで、ツーブロックなわけか。つくづくミーハーなやつ!」と、綾の心はにやけた。

ウブロは、普段の地味な格好からは想像できないラウドマウスの派手なパンツをまとう。マキにつっこまれると「業界のコンペだと、みんなこれだからさ」と恥ずかしそうに照れている。OFFの静かな雰囲気から、ONの場面を垣間見せるギャップが好印象を与えた。

グリーンを4人は歩きながらいろんな話をした。長時間4人きりで回るゴルフは、男女が距離を縮めるのにはぴったりだ。自然も会話がつながる。

アップルウォッチは新卒で入った愛知県庁辞めて、28歳で独立したと聞いた。「28歳って今の私と同じ年。すごいなぁ!」と、素直に綾は尊敬した。そして意外なことに彼は、綾と同じ学区の中学校と判明した。さらに大学時代にイギリスのボーンマスという町で短期留学していたことや、チェコ映画が好きなど、共通点が多かった。

「3つ以上の偶然が重なると、人はそれを運命と呼ぶ」

綾はどこかの小説の一説を思い出した。

女子は二人とも、男子と同じレギュラーティーからラウンドし、スコアは80台。「名門女子大のゴルフ部の私たち、本領発揮って感じね」と、綾は目くばせをした。一方、男子は二人とも90後半。アップルウォッチは「MRP! マジ、リスペクトだわ〜」と、DAIGOのようにおどけた。綾はそれがツボに入ってしまい、お腹を抱えて笑った。それを見て、アップルウォッチも嬉しそうだった。

帰るころはすでに夕刻。4人は、ドライブがてら羽田を経由して帰った。空港に近づくと、「ちょっと展望台行ってみる?」と、ウブロが穏やかに提案した。展望台へ行く。冷たい風が吹く中、寄り添う恋人たち、切なそうに滑走路を見つめる女性、三脚をしつらえて写真を撮るものもいた。

目線の向こうでは、飛行機が夜空に飛び立つ。手前では、大きな飛行機がこちらを向いて十数機も並んでる。その中から、ブリティッシュ・エアウェイズ機がバックをして、滑走路にゆっくり移動する。綾は短期留学に飛び立った夜を思い出し、感傷的でノスタルジックな気分になった。

青、緑、赤。宝石のように散りばめられた誘導灯が、静かに、いつまでも点滅していた。

◆エピローグ

綾とアップルウォッチは1年後に結婚した。

最初はすごく遠い存在だと思ってたのに、彼の弱点を見たら対等になれた、と綾は語る。人間は全てにおいて完璧はない。弱点があるからこそ、お互いを認め合い尊敬できるのだ。




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