木曜日の夕刻。日比谷線の中吊り広告には、元野球選手の薬物逮捕の文字が踊る。幅広のベンチシートには疲れたサラリーマン、デートで色めき立つOLがスマホを覗く。乗客を避けるようにマキは地下鉄を降りた。六本木の駅を出て歩く。
冷たい風が前髪を撫でる。ケバブ屋のトルコ人が陽気な声をあげる。 六本木を歩く人のジャンルは様々だ。道行く人は外国人も多い。さまざまな肌の色、髪の色、においが入り混じる。まるでジェリービーンズみたい。目を細めてカシミヤのストールに顔を埋めた。
「西麻布ってもっと駅から近かったらいいのに」
マキはカルティエのベニュワールを気にした。19:50。時間ぴったりに着きそうだ。吹き抜けからエスカレーターが突き抜ける六本木ヒルズが過ぎると、やがて緩やかで長い坂が始まる。ジミーチュウのヒールの持ちを気にしながら、丁寧にアスファルトを確かめるように歩いた。
やがて西麻布の交差点に差し掛かる。学生時代通ったクラブを無意識に目で探した。西麻布の人々も一風変わったオーラを纏う。選ばれし者が集う場所といったところだ。
友達の旦那の付き合いで、接待という名の合コンへ
今日は合コンである。幹事は学生時代の友人・美帆子の旦那。仕事のクライアントが接待がてら合コンを頼まれたらしく、美帆子からヘルプの声がかかった。その業界ではよくあること。営業マンは質のいい女の子の確保が大変なんだとか。
美帆子からは「IT社長が来る」というとこまで聞いている。IT社長といえばタレントやモデルと遊ぶのが当たり前の連中。今日の合コンには本気の恋は見つからないと値踏みする。
会場は西麻布の隠れ家ダイニングバーだった。
「なんかベタな感じ。さすが代理店とIT社長」
くすっと笑いながら、マキは送られてきた食べログを事前に見る。さりげなく値段をチェックすると、客単価1万円の店のようだ。こんな店で合コンなんて、さすがね。おいしい思いをして帰るかと、目当てをそこで出されるという鉄板焼きに絞った。
店は西麻布の一角にあった。白い壁の建物の入り口を入ると、間接照明に照らされる大きなポップアートが目に入った。地下に通されると、外からは想像できないようなくつろいだ空間が現れる。
毛の長いラグにローテーブルと赤いソファが置かれている。各席でキャンドルの炎が揺れていた。そこかしこに間接照明がたかれ、天井はローズ模様で少し妖艶な雰囲気だ。
「うわあ、業界人が好きそうな店」
独身美女28歳と、遊びなれていそうな40代の男たち
今回のメンツは、女性は美帆子の大学のゴルフ部仲間。全員28歳の独身。ハイソサイエティなグルメ雑誌のエディターと、外資系証券会社の役員秘書、そしてネイルサロンのオーナーのマキ。一人遅れているようだ。
相手は美帆子の旦那と、ITコンサル会社の社長、ちょいワルな雰囲気のテレビ制作会社の社長、古風な正統派イケメンの老舗の和菓子屋の8代目。みんな40代前半の独身社長だ。皆肌ツヤが良く、年齢より若く見えた。
「美帆子の旦那って、こんな人たちと仕事してるんだ」とマキは物珍しそうに彼らと向き合った。肩書だけ見るとすごいけど、それだけに遊び人なんだろう。「気をつけなくちゃ!」と、ふかふかの赤いソファに座りながら、マキは予防線を強くした。
やがて遅れていた女がそろった。自他ともに認める遊び人国際線CA。きっちりと夜会巻きされた黒髪、黒いストッキングに黒いパンプス。黒づくめの中に、赤いルージュが光る。フライト帰りをアピールするように、スーツケースを軽やかに引く。
「相変わらず決まってるわねえ」
CAと遊びなれている男でも注目してしまうほど、ONタイムからOFFに変貌してく姿は、マキが嫉妬するほどいい女だった。我ながら美女が4人揃ったと思う。15分遅れて、4人はシャンパンで乾杯した。
そして自然と男女のペアができる
「AKBの子たちもよくここで飲むらしいよ」
「へえー!あの子達、清純派気取ってるけど、裏では派手なことやってるのねえ」
業界トークで女性陣を楽しませる男性陣。フォアグラや和牛の鉄板焼きと赤ワインで、当初の緊張がすっかり溶けていく。
で きる男はトークがうまい。和やかなムードで会話進んだ。マキは、男たちの肩書にどうしても警戒心を強めてしまうが、ものすごく紳士的だった。物腰が柔らか くて、自慢話もほとんどしない。安っぽい学生ノリとボディタッチが好きな20代の商社マンとは違い、彼らは大人だ。わきまえている。やがて居心地の良さを 感じた。
1時間半ほどたつと、自然と男女ペアになった。CAはテレビ制作の社長と楽しげに話す。「この前こんなお客様がいてねェ〜」とCAお決まりの業界裏話に、男も気持ち良さそうに聞いている。
エディターは御曹司とグルメトーク。名刺を交換し合い、仕事の話でもしているのだろうか。キャリアOLにとって、合コンは恋愛か仕事のどちらかにつながれば、満足度は上がっていく。
美帆子の旦那と秘書は熱心にジムの話で盛り上がる。幸せ太りをしたという美帆子の旦那は、結果にコミットしてくれるダイエットジムに通う。一方、女は加圧ダイエットに通っており、お互いトレーニングの話で盛り上がっていた。
唯一共通の話題のない私と地味系のIT社長。彼はリラックスした白シャツの襟をVネックのモカブラウンのセーターから覗かせている。彼とは「このワインおいしい」「チーズもおいしいね」と、降りはじめの雨のようなとろやかなテンポで会話をした。
太い手首にぴったりと張り付く大きい時計が見え隠れする。紺の文字盤にゴールドのベゼル。「ウブロだ」マキは雑誌で見たのを思い出した。何百万もする高級時計だったと思う。話を聞けば生まれも育ちも千代田区で、趣味がクルージングだそうだ。
(住んでる世界が違う。こんな人と付き合うのはどんな女なんだろう)
マキは恐縮するどころか、逆に興味がわいた。
その男は言葉数が少ないが居心地がよかった。やがてマキは、彼の作り出す沈黙が苦にならないことに気付く。マキはずっと背中にかすかな緊張をにおわせていたが、ふうとやっと一息つけた気がした。
氷が静かに沈められたカクテルグラスをマキは口に運ぶ。ヒプノティックのブルーがかすかに色味を帯びる。口に含めばトロピカルな風味とグレープフルーツが香った。
3回目の沈黙が訪れたとき、ビートルズの「ドント・レット・ミー・ダウン」が物憂げに流れた。彼が思い出したように横顔で「俺、この曲好きなんだ」と、黒目を睫毛で隠しながらぽつりとつぶやいた。切ない旋律がマキの体中を遡って響かせた。
エピローグ
1 年後2人は結婚した。挙式はハワイでプライベートウェディングを選んだ。親族だけの少人数。派手さを好まない二人にはぴったりだと、美帆子ははがきの写真 を見てほほ笑んだ。なめらかに扇形をつくる純白のウェディングドレスの後ろ姿。ハワイの空の青との対比がとても美しかった。ちなみに、美帆子の旦那は、仕 事を見事受注したんだとか。
楽しい話題だけが男女を引き合わせるのではない。肩書でも容姿でもない。一定の周波数をキャッチしたときに、人は恋に落ちる。
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