<前回のあらすじ>パリコレデザイナーKENJIのもとで働く24歳のさとみ。会社の休業日に表参道のカフェに行くと、美女を連れたKENJIに遭遇。揺れる想いに戸惑いを隠せないさとみは・・・。
◆急接近
「この女性紹介するよ。今度業務提携するのだけど、全国展開している『アーモンド・スパ』の美人社長。聞いたことあるだろう?」KENJIはやさしいまなざしで、高級サロンの名前を口にした。
「ケンとは留学時代の仲間で長いのよ。あなたケンの会社のデザイナーなんでしょう?これからよろしくね」
細くてやわらかい手と握手しながら、さとみは「彼女じゃないのか……」と心の底から安堵した。同時に、その気持ちに戸惑いを覚えた。その揺さぶられた気持ちがさとみの目をしめらせた。
「今からコイツのサロン、行くんだ。一緒に来ないか?一流のデザイナーなら見た目も磨くべきだ」
3人を乗せたタクシーは天現寺橋交差点の先で止まった。いかにも「一見さんお断り」な雰囲気を醸し出している、そのサロン。分厚い茶色のドアを開けると、黄色くて薄暗い間接照明の空間が。高級感のあるアジアン調の家具でまとめられていた。
施術はすべて個室で行われる。「じゃ、よいリラックスを」とKENJIはおどけて、隣の部屋に入っていった。
靴を脱いで部屋に入ると、真ん中に大きなベッドが置いてあった。毛足の長いふわふわの絨毯が足の裏をやさしく包む。各個室には透明のガラスで仕切られたシャワーがあり、施術の前にシャワーを浴び、バスローブを羽織る。鏡の前には「アスプレイ」のアメニティが揃えられていた。 「英国王室御用達のブランドなんですよ」とスタッフは説明した。
施術はとても心地よく、全身と心がときほぐされていった。また、施術前よりも、顔のラインがすっきりし、目が大きくなっている。「まるで整形したみたい!」とさとみは鏡の前ではしゃいだ。
KENJIは施術後、さとみを青山の寿司屋に誘った。上品かつモダンなインテリアに一枚板のカウンターがあり、そこに座った。二人の間には30pほど距離が空き、それが師匠と弟子の関係を意味していた。
◆バスタブに花びらを浮かべて
KENJIはことあるごとにサロンに誘ってくれた。その後は食事、バーにいくというのがお決まりのコース。2回目の時は、鉄板焼きに行った。目の前で伊勢海老や和牛がじゅうじゅうと音をたてる中で、KENJIの話を食い入るように聞き、業界の最前線を肌で感じた。さとみの心が火照って鼓動を立てている。しかしこれは、恋愛ではなく、夢への情熱がそうさせているのだと思った。
3回目、静かな店で比内地鶏を堪能したあと、いつものショットバーに行く。会話を邪魔しない程度のジャズに、マドラーと氷の音が味わいを添える。クリスタルの森のように並んだウィスキーボトルを見ながら、さとみはKENJIの横で落ち着きを覚えていた。次第に近づく距離を、さとみは抵抗なく受け入れる。師匠でもない、上司でもない、友達でもない。いや、師匠であり、上司であり、友達でもある。不思議な関係だ。
4回目のバーの夜。バーテンダーがアイスピックで氷を形作っていく。独特なリズムを耳にしながら、さとみはKENJIの苦労話を聞いた。第一線で活躍する彼が普段は見せない表情をしている。業界は光と影。照らす光が強ければ強いほど、影を黒く重たく落とす。大きなプレッシャーと弱音に彩られた彼の横顔が切なく、その夜、さとみは眠れなかった。
5回目、二人はカウンターに肩を寄せ合って座った。KENJIはさとみに真っ赤なバラの花を贈った。胸が切なく震えて、何か心地いい柔らかさがさとみの心を満たしていった。さとみは帰ってバスタブに湯をはり、バラの花びらを浮かべた。KENJIの染み出す思いに体を浸して、自分を抱きしめた。
6回目から、カップル用の二人部屋で施術を受けるようになった。
数カ月経ち、KENJIは仕事仲間にさとみを恋人として紹介するようになった。さとみは大恋愛と夢の実現という、2つの激しい幸福に酔いしれた。それは怖くなる時さえあった。
◆恋人関係の解消
ただ、この幸せはずっと続くなかった。
積極的な海外進出に、気が付けばトップデザイナーまで登りつめたさとみ。KENJIとは交際5年目の春を迎える。男女が長い時を経ると、すれ違いが生まれ、価値観に変化が生まれる。当初は不思議だったKENJIの存在が当たり前の存在になった。刺激も尊敬も恋心もない。味わい尽くしたガムのように、むなしく口に残るだけだった。
さとみは親友のメグにLINEを送った。
「最近KENJIと時間が合わなすぎて萎える。会っても仕事の話しかないんだよね。マンネリってやつ?なんだかな〜」
その1ヶ月後、二人は恋人関係を解消した。