<前回のあらすじ>パリコレデザイナーKENJIのもとで働く24歳のさとみ。自分の活躍に嫉妬をする恋人と別れ、仕事に集中しようと決断する。2月のある日、表参道を歩きながら、友人にLINEで別れた報告をした。
◆女はクリスマスケーキという古い神話
「働くときは働き、休む時は休むべし」というKENJIのこだわりから、冬と夏に2週間のバケーションが与えられる。KENJI-PARISの休業日でも、表参道はいつものようにさとみを受け入れる。
さとみはつい24時間前に捨てたチープな恋愛を思い出す。仕事と恋愛の両立は難しい。一流の業界で修行をするならなおのこと。自分を慰めるように、失恋の味を心に埋めた。
24歳ともなれば、地元では結婚する人が増え、子供がいても珍しくない年齢だ。新潟には「女はクリスマスケーキ」という古めかしい法則がまだ実存する。25を過ぎれば買い手、つまり結婚相手が付かなくなるという都会では化石となったルール。これにのっとり生きる姉は、25歳できちんと嫁いでいった。
親からの「あんたもそろそろ」という親からの哀願のようなプレッシャーが窮屈に全身を捉える。その背徳感と、結婚という甘美な夢にとり憑かれそうになると、振り切るようにさとみはみゆき通りを歩き、自分の道を再確認する。
◆熱く見つめる視線の先に
さとみは譲り受けたKENJI-PARISのサンプルを着ていた。KENJIのファッションは、シンプルながら上質な素材で女性らしい曲線を描く。セレブのファッションスナップにも常連で、着こなすにはそれなりのオーラが必要だ。
さとみはKENJIの世界観を知れば知るほどのめり込んでいった。デザイナーは、ただセンスがいいというだけでは一流の舞台に上がれない。デザイナー本人のオーラやカリスマ性、人間性がものを言う世界だ。「自分もKENJIに認められたい。追いつきたい」KENJIの背中を見つめる視線は恋する女とは比べものにならないほどに熱かった。
さとみはいつものように、みゆき通り沿いのカフェ・ラグナヴェールに入った。白い壁の建物が、冬の終わりかけの青空に映える。結婚式場が運営しているという話だ。花嫁のようにスカートの裾を気にしながら石段を登る。やがてガラス張りのカフェが見えた。
「あっ……!」
花が飾られたテラス席には、KENJIの姿があった。さとみは嬉しさのあまり駆け寄った。
◆休日にケーキを食べる相手は
KENJIもこちらに気づいたようで、手を上げて「やあ」とさとみに声を預ける。プライベートの?KENJIは、カジュアルな風貌。プライベートらしく気の抜けた雰囲気がなんだかセクシーだった。?1週間ぶりに会っただけなのに、さとみは会えて単純に嬉しかった。クラッチバックを白熱的に握ってKENJIに駆け寄る。
さとみは頬を染めて、さっき浮かんだアイディアを話そうか、いや、昨日雑誌で見つけた痺れたデザインについて話そうか、いや、実家の犬が子供を8匹も産んだこと、いや、深爪したこと、シルバーリングが黒くなったこと……。何から話そうか、?KENJIの前で目をぱちくりさせた。
「どうした?」という?KENJIの優しい笑顔がさとみの胸を染めたとき。
「ケン、知り合い?」
甘ったるい声がさとみの背中をとらえた。さとみは肌が逆立った。振り返るとハーフの美女がきょとんと見ている。キャラメルのような髪の色が流れるようにウェーブを作り、左肩にながれかかる。エキゾチックな顔のパーツに、日本人離れしたたおやかな唇が実る。「トイレ結構待ったわ」と言い、慣れたように席に着き、細長い足を交差させた。
その女はジェニー・パッカムの黄色のワンピースをさらりと着こなす。キャサリン妃が着ていたものだとすぐ思い出した。まるで彫刻のように強く、マシュマロのように柔らかい。シャネルの5番の香りがさとみをかすめると、マリリン・モンローが「シャネルの5番を着けて寝る」といったうモノクロ映像が脳内で流れた。
休日カフェに?2人でいるのはそういう関係なんだろう。?KENJIはさとみの彼氏でもなく、単なるボスだ。それに独身の一流デザイナーなのだから、女がいて当たり前。しかしさとみの中で、正体のわからない嫉妬感と悲しさが泡立った。
外は晴れているのに儚げな霧雨が舞う。春の生温い風が不安定なさとみの感情をもてあそんだ。(続く)??